先日起きた電車内での妊婦の出産について遅ればせながら思ったことがある。この事件において多くの反応は「無事生まれて良かった」というものがほとんどだったのだけれど、一部において「電車が遅れて迷惑だ」「予測して行動しろ」など、電車の遅延が起きたこの騒動についてバッシングが起こったのは周知の事実だろう。
このことについては新聞やTVメディアにおいても取り上げられて、バッシングをした側が正しくないと言う形で決着したように思う。
思うに一番の根本原因は妊娠や出産に対する無知・無理解があったと思う。
妊娠時は出産を促すため直前までウォーキングなどの軽い運動が推奨されること、陣痛が来る前の入院は基本的にはできないこと、出産直前でも頻繁に通院して検査や確認をしなければいけないこと、出産予定日はあっても基本的には大幅に前後すること、等を知らずに「生まれる前なのに身勝手に動き回った」という誤解がこれだけのバッシングを生んだのだ。これはマスコミやインターネット上でも同様の意見だったように思う。 なのでこのことについてことさら言及する気はない。 むしろそこから見えてきた多くの日本人の「本質」のほうが気になったので、少し言及してみたいと思う。
「社会に迷惑をかけてはいけない」という強迫観念
自分が気になったのは、妊婦への無理解のほうではなく、そもそも「社会に迷惑をかけるな」という、一見正論ともとれる強迫観念の方だ。
今回の件も、妊婦への無理解はあったにせよその根底には「電車を止めて社会に迷惑をかけるなんて」という怒りがあったように思う。
もちろん電車が止まるというのは喜ばしいことではないし、できれば時間通りに来てもらうのがベストなのは当然だ。
だが、例えば今回のように予定外の出産や不摂生によらない急病人を「仕方のないこと」と思えないのは、本当に「社会」のことを考えて言っているのかという疑問が生まれるのだ。
社会全体のことを真剣に考えれば、例えば致し方ない急病人の発生の場合などは周囲が協力して助け合い、またそれによってイレギュラーを強いられた側も「多少のことは仕方ない」と寛容になれるほうが社会として健全であり、またそれによって全体が抱えるストレスも低減されて発展が見込めるというものだ。
滞りなく物事が運ぶというのはあくまで「何事もない場合」に限られるわけで、そうでなければ迷惑だと考えることが本当の社会のためにはなっていないのだ。
本当は自分に迷惑をかけられたくないだけ
そこから見えてくるのは、彼・彼女らは社会全体のことを考えて怒っているのではなく、「社会」にかこつけて「俺・私に迷惑をかけるな」と私的な怒りをぶつけているだけではないのかということだ。
こと日本において「社会が迷惑する」という意見の大半がこうであるように感じる。
そうやって社会を笠に着て、ただただ自分が迷惑を蒙りたくないのである。
そう考えれば彼らが言っていることは建前とは真逆であり、社会全体のことをまったく鑑みられていない、むしろ殺伐としてストレスフルな社会を醸成してしまうものなのだ。
日本人はもともと社会に対する意識が狭い
そしてこれは日本人に顕著に見られるものだと感じる。
思うにやはりこの国には本当の意味での民主主義が根付いていないのだろう。
民主主義そのものも与えられたものに過ぎず、過去の歴史を見ても民衆が自分で社会を作り上げていったことが無いこの国において、国家や社会全体を考える意識そのものが希薄なのだと思う。
であるからして、個々人における「社会」感が貧しいものとなってしまい、自らが考える「社会」が矮小で狭い範囲で考えてしまうのだろう。
・学校教育もまた社会意識の低さの原因に
またこれにおいては、学校の教育にも問題があるように感じる。
思うに学校の道徳教育やそれ以外に教師が道徳観などを説く場面においても、あくまで個人個人の狭い範囲の付き合いにおける道徳しか教えず、広く全体の益を考えて行動するという指針が欠けているのだ。
もちろん公衆道徳のような教えもあるにはあるが、それこそ「まわりの人間に迷惑をかけない」の拡大版ぐらいのものでしかない。
要は一つのみかんをその場にいる4人で分け合う教えはできても、全員がその場でみかんを食べるのを我慢してみかんを植えて、後に多くの人と成長したみかんの木になったみかんを大勢で共有する教えがないのだ。
とにかく現代の日本というのは生活も欧米式のそれに近くなり、都会に密集して、見知らぬ人々とすれ違いながら生きていく社会に変わった。
そんな中において社会全体を考える人間が増えず、旧態依然のムラ社会のような考え方をする者ばかりではますます殺伐としストレスフルになっていくだけだろう。
ネットによってそれら諸問題もさらに顕在化してきている今、考え方そのものを大幅に変えていく時期に来ているように思う。
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