子供達にスマホを持たせるべきか、今一度考えてみる

 

例の神奈川県座間市の殺人事件によって、またSNSの闇がひとつクローズアップされることになった。

というのも御存知の通り被害にあった方々は皆、インターネットでの交流から誘い出され殺害されており、インターネットでの見知らぬ人間とのやりとりについて今一度是非が問われている状況なのだ。

その点について、今回被害にあった半数ほどが未成年であることから考えて、やはり未成年のネット利用について考える必要があると思うのだ。

 

 

そもそもスマートフォンを持たせるべきなのか

 

私が未成年のネット利用について常に思うのは、やはり基本的に現在の未成年のスマホ所持そのものがまずいということだ。

勿論インターネットは今現在の生活には欠かせないものとなっており、未成年だからとおいそれと隔離できるものでないことはわかっている。

 

ただ、いかんせんその付き合い方がまずい。

インターネットはあくまで自由に通信する技術であり、利用の仕方によって毒にも薬にもなる。

もちろん無法地帯では宜しくないということで様々な規制が作られ、あまりに悪質なものは排除されているが、それでも違法・危険なサイトは増え続けているし、そもそも法では罰せないレベルのグレーなものもある。

 

とにかくそういった負の側面を多分に持つインターネットを、誰にも見られていない環境で、ごくパーソナルにアクセスできるスマートフォンを子供が所持すると様々なリスクがありすぎるのだ。

なので少なくとも現状のような利用の実態は非常に宜しくなく、持たせるべきではないという結論になってしまう。

 

 

啓蒙活動では抑止できない

 

こういった否定的な意見を言うと「それは暴論だ。インターネットのリテラシーに関する授業などを早いうちから行う事で対応できる」という反応が返ってくることが少なくない。

リテラシーに関する教育をより行っていくことに関しては私も否定はしない、どちらにせよネットとの関わりは増えていくのだからそれらを行うことは当然だ。

 

ではそういった教育だけでトラブルが未然に防げるかといえば答えは「ノー」だ。

それは何故なのかといえば、いくら事前に教育しようとも彼らが子供である事実が変わらないからだ。

そもそもインターネットでトラブルに遭わないためにはケーススタディでは限界があるのだ。

老人を狙った詐欺で「こういった手口が危ないですよ」と教えた所で、詐欺グループは手を変え品を変え様々な手口で詐欺を働くのと同じで、あれが危険これが危険としても新たな手口が現れる。

さらにネットにおいてはその危険があらゆる所に潜んでおり、悪意を持つものは無数に存在する。

そのすべてを教えることそのものが難しい。

 

では最終的には危険を避けるために何が必要かと言えば、本人の判断力ということになってしまう。

自身の経験と知識と理性から「これは怪しい」「これは危険」と判断する能力が必要だ。

(ネットリテラシーに乏しい大人も同じようにトラブルになることも少なくないため、その両方が必要だと言えるが)

そのため「人生経験」が圧倒的に乏しく。衝動的になりやすく理性のコントロールもこれからということが多い子供たちにそれらを身につけることは困難なのだ。

 

また犯罪に遭うリスク以外にも、友人間でいらぬ軋轢をSNSが生み出していることは多くの方が知る所だ。

これもまた大人であっても文字だけのやり取りはトラブルになりやすい事を考えれば、より未熟な子供がそのような事態に陥るのは自明の理だと言える。

 

 

では子供たちにスマートフォンを持たせないようにするべきか

 

今まで説明してきた通り、子供が無防備に目の届かない所でインターネットにアクセスすることは幾多のリスクが存在する。

では単純に子供へのスマートフォン所持を禁止すればいいだろうかと言えばそれは流石に難しいだろう。

これだけ無線通信技術が発達した現在において、そういった端末すべてを子供から遠ざけるのは現実的ではない。

それに私は別に子供たちをテクノロジーから遠ざけてアナクロな世界に閉じ込めておけと言いたい懐古主義者ではないので、適切な距離を保った上ではどんどんテクノロジーは利用すべきという立場だ。

 

ではどうすればいいのかと言えば未成年が「ネットに自由にアクセスできる」個人端末の所持を禁止するのがいいのではないだろうか。

インターネットや各種アプリは所謂ホワイトリスト方式で認可されたもののみアクセス可とし、その認可の基準は厳しくする一方で届け出のハードルはできるだけ低くするのだ。

特に不特定多数とやり取りが可能な物に関しては原則禁止がいいだろう。

SNSは直接知り合った者同士のみがやり取り出来るもののみを許可し、知らない人間と文化的交流が図りたいのならば身元が完全にわかっていなければ利用できない交流サイトを行政やキャリアが用意すればいい。

本来それで事足りるはずだ。

ホワイトリスト外のサイト等にアクセスしたい場合には保護者や監督者の所持する端末で、きちんと監視している上での利用を認めればいい。

それであれば未成年者のプライバシーは守りつつ、安全に運用が可能である。

キツイ言い方をすれば、本来保護者の庇護の元で暮らしている未成年者にそれ以上ネットの自由を与える必要はないだろう。

 

 

スマホ規制は世の中が追いつけていない状態

 

このように私が考えるスマホ規制を語らせてもらったが、これを暴論だと思う人も少なくないだろう。

それもそのはず、既に多くの子供たちがスマートフォンを自由に使っているからだ。

ただ、これは逆に法や行政、さらには人々そのものがスマートフォンやインターネット技術の進歩に追いつけていないだけではないだろうか。

進歩のスピードが早すぎて、これが規制すべきなのかどうか考える余地もないまま今日まで来てしまっている気がするのである。

自動車だって発明された当初はほとんど無法の状態で走っていたが、その危険性から後に法が整備されていったように、危険性やリスクがわかってきた今こそ、安全に運用するための各種の法規制が必要だと思うのだ。

 

そういったスタンスで今一度在り方、付き合い方を考える必要は本当にないのだろうかと各方面に問いたい━。

 

 

Be the first to comment on "子供達にスマホを持たせるべきか、今一度考えてみる"

Leave a comment

Your email address will not be published.


*